声と態度は輪をかけて

 久々の更新。とは言っても、3ヶ月ちょっとといったところだからそれほど長い期間でもないのだけれど。ゆるくブログ書いてる人ならこんなもんではないか。
 今日何か書くのも、それほど深い意味はない。前の記事が結構情緒的な内容だったから、それがずっとトップに居座ってるのもなと思ったのと、たしかはてなブログは3-4ヶ月くらい放置してるとbodyタグ部分のトップに広告が設定されるようになっていたはずだったので、せっかくだからなにか書くかなと思った次第。

生活の方は万事快調というほど良くはなく、かといってひどい有様と言うほど悪いわけでもなく、ひとまず期待している成果のうちの中の下くらいまでは堅実に出ていて、まあ不満を持つのは贅沢にせよ、かと言って手放しで喜ぶには志が低すぎるといったような微妙な具合で進行している。この数年くらいの間はずっとそんな具合で、いつになったら見えるものが見えてくるのか分からないのがなかなかストレスになる。

 それで、3ヶ月ほど放置していたわけなんだけれども(はてブ界隈には、ままよくいた)、この間に結構アクセスが伸びていた。さらに言えば、週一の頻度で更新し続けていた一年ほどの期間よりも、放置していた3ヶ月間で得たアクセス数のほうが多い。これは、喜ぶべきところなんだろうか?
 アクセスが集まったのは主に6月の初めに書いたアニメの感想記事で、どうやらそのアニメのキャラクター名で検索するとこの記事が1ページ目に挙がってくるらしい。人気を集めにくい立ち位置のキャラクターではあったけれども、こんな泡沫ブログの中の泡沫みたいなブログの記事がそんな良い位置に来てしまうくらい人気がないということなんだろうか。それとも、単純にもう、ブログ全盛期のようにアニメの感想を数千字かけて書く、という行為自体があまり主流ではない、ということなんだろうか。Twitterとかでその向きのフォロワー経由で長ったらしくてやや情緒的なアニメの考察ツイートが連投で回ってきたりするのを見るに、文章量そのものが忌避されているということではないと思うんだけれども……それとも、単純にコンテンツにアクセスするまでの手間が少ないものが耳目を集めている、というだけのことなのかね。かつてそういう領域の最前線にいたのがブログで、現在は短文投稿型SNSという。
 自分は割と、ブログの近すぎず遠すぎない距離感とか、ひとまとまりの洗練された(洗練させるかいなかは書き手の熱意の程度に依る部分ではあるけれど)文章を読めるところとか、今のSNSのように「見せる相手がいる前提」ではないところ、「読みたい人と思っている人だけが読みに来てくれる」というところが好きで、Twitterの隆盛から一過性に過ぎなかった”ブログ(ネットライター)で稼ぐ”という旗印の下の2012~2016年くらいまでのブログ再興の流れが終わった今でも、やっぱりこういう環境があるのはいいものだな、と心から思っていたりする。だからこういうふうに、自分が見せつけるのではなくあらかじめそのコンテンツについての記事を求めている人がいて、そういう人の主体的な意志と動作とによってここまで来て読んでくれるというのは、素直に嬉しく思ったりする。もちろんそれだけの手間をかけたからといって、必ずしもその記事にアクセスした人全員が自分の記事を読んで満足したとは限らないけれどね。

 今年に入ってからは全般的に今のネットの流れというのが気に入らなくなってきてて、はてブTwitterその他諸々のソーシャルネットワークからはある程度距離を置いているのだけれども、こういう場所でひとり細々と文章を書き続けていくことだけは、これまでと変わらない調子で続けていきたいし、その道程が平穏であるといいなと思っているのだけれど、はてさて、これからどうなっていくんだろうね。
 それじゃあ、また3ヶ月後くらいに。