つまりこうなんだ結局。人間が――

 ひとまず、ブログの更新を停める。ブクマの整理は予定通り6ヶ月ー10ヶ月分くらいはやる気でいるけれども、その他の記事については書くのをやめるつもりでいる。一応書いておくけど、これは「ネタがないから書けそうにない」とか「書きたいことがあれば書く」とかではない。「極力書かないように努める(自分自身が持ちうる時間的、体力的資源を、ここに何かを書く、という作業によって失わないようにする)」ということ。
 べつにここで自分個人の身の上話だの、最近の具体的近況なんかを書いたところで何かしらの意味が発生するわけでもないから、その辺の事情については端折る。誰にだって、現実と生活とはあるし、そうしたもののために自分自身で持っている時間と能力のほとんどを注ぎこまなくちゃならない、という局面はある。他の誰かのそれと自分のそれとで、何か大きな違いがあるとは思っていないし、実際、違いなんかない。

 ただ、自分にとってはほんとうに、まったく予期しない事態になった、というのはたしかで、とにかく今はしんどい。ここでなにかものを書くたびにしんどいしんどいと書いていたような気がするけど、今回のそれはほんとうにしんどい。とにかくしんどい。てきとうな事を書いているといざというとき信用されなくなるってのはこういうことか、狼少年とはこういうことか、とかそういうことを考えさせられるくらいにはしんどい。

 ちまちまと書き進めていたインターネットのコミュニケーションや討論の構造がどうとかって私見に関しては、メインのほうでやる。この数ヶ月ほどのあいだ、どうにもメインの方で書いていることが一向に進行せず、それに反比例してこっちで書いていることの規模や、自分にとっての深刻さの度合いみたいなものが日毎大きくなっていて、ずっとその不均衡が気持ち悪かった。残念なことに、自分の頭じゃあ、こういう複数の進行作業を適切な釣り合いが保たれることをよくよく意識しながら適切に執り行うっていうような、そんな高度な作業はできないらしい。
 なんでも器用にあれこれできないのなら、自分がいま一番やらなくちゃいけないことに、自分の持ちうる資源を全部投入するのが一番いい。少なくとも、この状態ででかい作業を終りが見えない状態でいくつも抱え込んだままでいると、ほんとに近く気が滅入ってどうにもならなくなる。

 別に、ここで何かを書く作業をするというのがしんどかったとか、何かしらの義務心に囚われた状態で書いていたとかっていうことはない。まったくないとも言わないけれど、ゆるい義務心と使命感というのは、その日その日を生きるためには必要ではないけれど数十年という時間を生きる人間として、独立した個人として生きるために必要な作業をこなしていくために、少なからず必要なものだ。少なくとも、自分はそう思ってる。

 それから、ここで文章を書いていて、はっと気付かされたようなこと――それも今年に入って以降の自分の生活で得られた知見のうちの最上のものだとさえ感じているようなこと――が、ひとつある。
 それは、自分がある程度外の世界を意識して何かを語っているときでさえ、他者に向けて何かを書こうとしているときでさえ、その行動の究極的な到達点は常に自分自身であり、自分自身を理解し、自分自身に対して語りかけることを目指しているのだ――と、そういったようなことだ。自分はここで一年(このちょうど一年、というのはまったくの偶然のことで、意図していなかった)で、これまで軸足を置いて書いていた個人的な記録と比べて、かなり第三者を意識して書いていた。別にブログでお金を稼ごうとか、はてなブックマーク界隈に割り込んで、社会の時事問題について盛んにあれこれご高説を垂れてやり、なんならこの界隈で結構な地位を占めてちやほやされたいなんて思っていたわけじゃない。外に向けて、他者を意識してテキストを発信していたのは紛れもない事実だけれども、それが何かしらの形での実入りを期待してそうしたわけじゃない。それは、これまでの記事につけてきた、SEOの真逆を往くような、バカげた中身のない記事の題名を見直してもらえればすぐ分かることだ。
 自己分析じみたことを書くのは極力避けるけれど、要するに自分がほんとうに望んているのは、自分が今持っている、ある意味ではバカげた目標や展望をひとつひとつ着実に達成し、自己実現を果たすこと。そこにあったのだな、と今いろいろなことをまた、振り返り直してみて思う。それは自分の理想と現実との隙間を埋め、自分自身の純粋な理性のともとで自分自身を承認することにほかならず、他人がそれをどう評価するか、というのはまったく問題にならない。重要なのは、重大なのはそれだけだった。

 人によっては、ここまでに書いてきたようなことを読んで、「なんて子供じみた、行きおくれの懊悩なんだろう!」と思ったかもしれないけれど、自分は別にそう思ってもらってもいい。実際残念なことに、自分はまだそのことが見えていなかった。けれども。自分は行きおくれ、生きおくれたかもしれないけれども、少なくとも今このことで整理をつけることができれば、これ以上には生きおくれることはない。自分のようなできの悪い人間には、これだってまったく上等なことだと思う。 

 他にも勢い余っていろいろ打ち込んだテキストがあるけれど、その辺はだいぶ感傷趣味が混じってきているな、という感じがあったのでざっくり削った。とはいっても、これでも結構な文量なのかもしれないけれど。でも、なんにしたってそういうものだ。自分が自分の満足するだけ、言葉を尽くして何かを語ろうとすれば当然そういうことになる。自分が長めの文章を書くことに慣れているから、弁舌を振るうことに慣れているからとかじゃない。自分がそれだけいろんなことをちゃんと説明したいと考えている、というその点にあるんだよ。他人がどうこう、能力がどうこうじゃない。自分なんだよ。分かるかね、ワトソン君?


追記 (2018/06/25 023:37): なんかはてな界隈が色々ととんでもないことになってきたな。で、そんな折にこの更新を見返してみると、ちょうどこのブログ辞める宣言がH氏の殺人事件の当日とおんなじで、文章なんかを読んでみても「件の事件で怖気づいたのでブログ止めます」宣言を迂遠で言い訳じみた感じで書いてるようにも読めて、自分の書いた記事ながら笑ってしまった。理由はめちゃくちゃ個人的な事情だし、更新ボタンを押して公開したのも18:12:20時点でのことだから、事件発生前なんだけど、証明できないっていう。まあ、偶然ながらすごく間のいい(悪い?)時期に区切りがついてしまったな、と思う。まったく、どいつもこいつも、めいっぱい生きような。