キットカットきっとぐにゃっと

個人ブログなんかためにならなくていいんだ上等だろ

伊藤智恵理とイェニチェリで韻を踏める

 はてなブックマークの政治・社会系の記事へのブックマークコメントがある種の党派的性質を帯び「党派性に準じたもっともらしい意見(コメント)を放つことで同じ党派に属する他者から承認(スター)を得る」↔「またスターを放つ側も、自分の思想および党派性に準じた意見にスターを放つ過程で、“自分は優れた意見をもっている”という承認を得る」という相互依存の関係のもとに、党派的性質・攻撃的性質を強める、という現象が(いつからかわからないが)起こっており、しかもこれはこれまではてな界隈がしばしば蔑視の対象としてきたYahoo!コメントユーザのそれときわめて近いものだ、というようなこと。それからそのことについて「個別意志が集団的性質を帯び、その集団によって・党派によってなにかを成そうとする時、それらは決していい結果をもたらさない」とルソーが社会契約論の中で書いているのを引用して、そうした態度が決して理性的な態度ではないことを数千字くらいかけて書いていたのだけれど、途中でやめにした。

 結局のところそれを書いたところで、その先ははてなブックマークの構造という、動かすにはとても難しく、また動かしたところで誰も幸せにはならない部分に切り込まなければならなくなるし、それ以外の面ではせいぜい彼らの態度は合理的でも、ルソーが打ち立てた民主主義および個別意志・一般意志の論理に沿うものでもないと指摘する程度のことしかできないことに気づいたのだ。
 別に自分は彼らが右派・左派なり男性主義・女性主義なりの意見を持つこと自体にはなんの不満もなく、自分自身の意見に沿おうが沿うまいがどうでもいいと思っているし、そもそも「他人の思想を許せない」などと自分が考えたりなどしていたならば、そもそも自分自身、他人の党派ありきの態度を非難する権利など持ちえなかっただろう。自分が本当に望んでいるのは、せめて自分自身の意見が種々の政治的集団、政治的派閥に絡め取られることなく、自分はどう答えを出すべきか考えられる状態に在ること。そして、そうするための方法はは、はてなブックマーク政経記事でコメントをするのをやめるか、アカウントに鍵をでもかけるしかない、ということだ。

 あらゆる人間の思想は偉大であり、ごみくずであり、またそのどちらでもないものであり、そもそも十全に観測し得ないものであり、そして尊重されるべきものだが、それはそれとして自分は人間の思想というものが単に集団意識を強めるための、承認欲求を得るための道具としてしか扱われないのなら、思想などという偉大なものより“ちんちん”という子供じみた、“ちんちん”それ自体を表すことのない、まったくもって存在価値の薄い名詞に愛情を捧げたい。
 なぜなら思想は人間を傷つけるが、“ちんちん”という言葉は誰も傷つけないからだ。

 
 はいポエムおわり。多分ブログはもう書きません